1933年(昭和8年)
4月22日生 文曲星 本名・長谷川敬(たかし)。
父 ・長谷川初五郎、母・芳子の次男として下関市宮田町に生まれる。
1940年(昭和15年)
下関市立名池小学校に入学。
1944年(昭和19年)
戦時、下関市の第二回強制疎開により豊浦郡豊東村(現在・下関市菊川町)に疎開する。
1946年(昭和21年)
山口県立豊浦中学校に入学。
1948年(昭和23年)
同校、学制改革により、山口県立豊浦高等学校となる。
1949年(昭和24年)
学区制の改革により、 山口県立豊浦東高等学校(現在・山口県立田部高等学校)に転校。
1952年(昭和27年)
山口県立豊浦東高等学校を卒業。 卒業する年に、あこがれていた映画監督 溝口健二をたずね弟子入りを志願。
氏から大学をでてからいらっしゃいと言われ、日本大学芸術学部演劇科に入学。
学生時代は演劇演出のかたわら、早稲田系の「詩世紀」に所属し、詩の創作をする。
1955年(昭和30年)
大学二年の時に溝口健二が亡くなり(1956)、また映画製作の団体作業から個人作業のほうへ関心が移り、
大学四年の中頃、同大学を中退し山口へ戻る。
1958年(昭和33年)
NHKのラジオドラマ脚本募集に「雨の女」が入賞。
これをきっかけに放送作家の道へ進む。
NHKはじめ民放局、全国向け、ローカル向け取り混ぜて、ラジオ・テレビドラマ、録音構成、
ドキュメンタリー番組などを手がける。小説を書く決心をさせたのは、明治百年記念演劇脚本募集に
応募した歌舞伎台本「大内殿闇路」が力量評価されたことによる。
1970年(昭和45年)
「ニジンスキーの手」で、第5回小説現代新人賞を受賞。
山口県芸術文化振興奨励賞を受ける。
1973年(昭和47年)
「罪喰い」で第69回直木賞候補。
1974年(昭和49年)
「オイディプスの刃」で、第1回角川小説賞受賞。
角川春樹事務所から角川映画として映画化。
1975年(昭和50年)
「金環食の影飾り」で、第73回直木賞候補。
1983年(昭和58年)
「海峡」「八雲が殺した」で、第12回泉鏡花文学賞受賞。
1985年(昭和60年)
第1回下関市芸術文化振興奨励特別賞を受ける。
2012年(平成24年)
6月8日逝去。享年79才。